とんだ曲解

つまり、偽装であろうがなかろうが、「本人」(この場合には戸籍名を指す)は一度も脱会したことなどないのだという仮説が示唆されている。

これはとんだ曲解だ。私の述べた「主観」は、(前史としての「ムッタ・デーヴァ」)、「河上イチロー」、(再び)「ムッタ・デーヴァ」、そして「松永英明」まで、全て表層的なモード、ということだ。といって、「深層」を探ることにさして意味はないのだけど。