最近流行りの揉め事その2

id:plummetとかは、良心的な批判かな、という感じがするのだけど、id:JSFは「潰す」ことを目的とした「情報戦」を仕掛けたような印象を持った。一方、デモ運営の関係者で中核派との関係を取沙汰された人達、というのは、うーん、「お子様」なのだろうか、無自覚に中核派との距離をとれていないような雰囲気を感じた。

例えば、法政大学の中核派排除にからむ問題、その問題自体は正確なところが分からないのでコメントしないが、排除を問題視する声明・署名の中には、単に中核派やシンパでないことが明らかな人が少なからずいる、というだけではなく、中核派から敵認定されている小西誠氏の名前まであったりする(とはいえ、さすがに白井朗氏や角田富夫氏の名前はない)ので、まぁ、かかわること自体が自明に中核派シンパということにはなりようがない。ただ、逆にいえば、大学当局の中核派排除に反対する運動にかかわるからといって、中核派メンバーと人間的にお付き合いする必然が生ずる、というわけでもないはず。

id:plummetid:plummet:20070805:p1については、「世間」とか「悪魔の証明」とか、そういうのを出して潔癖主義を求めているのだが、それは酷い、というか、批判対象者は到底「希薄」なつながりとはいえないので、この場合そこまで言う必要もないだろうし、「世間」という前近代の香りのするキーワードを将来にわたって有効なものとして出してくるのはいかがなものだろう?

中核派のようなセクトのフロント団体からの汚染が及ばない、アドホックな個別問題についての「共闘」というのは、過去に市民団体が試みていて、それは(イメージ汚染が及ばないという意味において)成功している。私が知っているのは1999年ごろの話で、ただ、極めて微妙な問題ではある(吉川勇一氏による盗聴法反対集会の例反国旗・国歌法案集会の例などを参照)。また、個人情報保護法案反対運動と宮崎学氏の「公調スパイ疑惑」が並行したあたりで微妙になり、その後、上にもリンクがある中核派批判をしていた白井朗氏や角田富夫氏が襲われて重傷を負った事件以降、成立しなくなっている。最近だと、共謀罪反対運動は統一の市民集会は存在しなかったと思う。

アキバデモの担い手にその種の政治力があるとも思えないので、そういう意味で近寄るな、と対象を限定したのであれば妥当。

あと、個々の参加者においては、集会とデモで態度を変えるのは当然ありで、1999年当時も、中核派(というか、厳密にいえば「共同行動」)の存在ゆえに、集会に参加してもデモは行かない、という人も少なからずいた(私自身はそのころを含めてデモ参加経験はない)。集会ではなくデモゆえに厳しく中核派排除するのだ、という考えであれば、それはそれでアリかな、とも思う。