松永氏(id:matsunaga)がオウム真理教/アーレフを脱会しているというのは退院直後のエントリで十分納得しているのだけれども

それはそれとして、やっぱり 松永氏のスタンスというのには、ひっかかるものがある。d:id:sakichan:20061118d:id:sakichan:20061125 は、松永氏の「自分は注文にあわせて文章を書くライター」という、繰り返されている立ち位置表明を意識して書いた。それって、確かに彼を貫く非常に強い立ち位置なんだと思うわけで、事後的には、オウム時代も、「河上イチロー」時代に書いたものも、そういうスタンスで書かれているように思えてきてしまった(報酬が金か否かはともかく)。「自分は社会の木鐸にはなれない」「悪を懲らすようなジャーナリストにはなれない」と、強調されるがゆえに、却って、彼の筆力への需要が、今の俗っぽい松永英明名義のものから、他のものへ変わったら(彼は今後数十年は社会の中で過ごしていくわけだから、そういう変化は十分にありうる)、彼と彼の筆力はいったいどこへ行くのだろう、と漠然と思う。これはまぁ、彼を特別に危険視する理由には全くならないのだが、いったん注目してしまうとそういう思いは消せないんだよね。

あと、脱会したんだからもうツッコむな、という意見があるのも、やはり違和感があって、それは例えば、今年、ギュンター・グラスが少年時代にナチス武装親衛隊でしたと告白して炎上していたわけなんだが、炎上はともかく、ある程度の節度はもちつつも、「そういう組織にいた過去」についてツッコむ、というのはそれはそれで正当なんではないかと思う。まぁ、ナチスオウム真理教はいろんな意味で違うし、また、まさに「正義」「社会の木鐸」然としていたギュンター・グラスと、そういうものにはなりようがないと断言する松永氏もその立ち位置は全く異なるので同じ議論ができるとは思わないが。